ISBN:978-4480066466 分析哲学講義
重要な問い
「アリストテレス」という語が、現実のアリストテレスその人を指せるのはなぜか
「アリストテレス」はどのようにアリストテレスと結びついてるのか
アリストテレスとは誰なのか
存在するとは
「現在の日本の大統領」という表現は、そんな人はいないのになぜ意味をもつのか
現在の日本の大統領
「痛み」という同じ語で、自分の痛みと他人の痛みの両方を表現できるのはなぜか
それは、言語を基礎的で自律的なものと見なし、言語の機構(メカニズム) を何か別の機構のもとで説明するよりも、逆に、言語の機構の解明によって他の機構を説明していくところにあります。分析哲学史における「言語論的転回」(linguistic turn) と呼ばれるのは、この逆転的な発想です。 誤解を恐れずに言えば、まず世界があってそれを言語が写し取るという直観ではなく、まず言語があってそこから世界が開かれるという直観が、分析的手法を支えていいます。
歴史
人工言語
論理学を下地にした人工的理想的な言語の確立
日常言語
意味はどこにあるのか
意味を伝えるとはどういうことか。何故頭の中にある意味を他人に伝えられるのか
「アセロラは赤い」
意味とは何らかの心理的イメージで意味の伝達とはそのイメージとする説
言葉の意味の同一性が、その言葉に結び付けられたイメージの同一性によって支えられているなら、イメージがその持ち主だけの私秘的なもの──その人だけにしか確認できないもの──である以上、言葉の意味も私秘的なものになってしまいます。しかし、これが本当なら、私たちは同じ言語を使って話すこともできないはずです。
意味の客観性
2+3=5の意味は人によって違って良いか
フレーゲ「よくない」
イメージ説の欠点
イメージ(赤いアセロラ)を画用紙に書き出して比較してみる
私の赤と他人の赤が異なっている場合確認しようがない
結局「自分と他人のイメージは比較できない」
仮に比較できたとして
イメージと概念は違う
千一角形と千角形をイメージすることはできないが、概念的にその違いを理解することはできる
バラバラの三角形をイメージしていても(イメージの同一性がなくても)ピタゴラスの定理の概念的な同一性とは関係がない
赤色の意味が赤色のイメージであるならば、「赤色をイメージしろ」という命令にどう従えば良いか
「赤色をイメージするな」のほうがわかりやすい
「赤色をイメージするな」は可能
意味がイメージであるなならば意味を理解する前にイメージが存在してしまうはず
イメージは唯一の規則性を与えない
ある絵を描いたとしてそこから読み取る規則は一意でない
指示対象説
東京タワーの意味は東京タワーそのもの
赤いは?
個物と普遍者
数学的対象とは相性が良い
宇宙が消滅しても(具体的な事柄がなくても)2+3=5という真理は普遍的なまま
普遍者からなる世界が信じられないならば意味をどこにおくのか
赤いとは赤いものの集合というアイデア
赤いものを集めるのに赤いという意味が必要
可能的な物の場合
「この机の上にもし赤い本があったら」
赤い本は存在していない
「すべての人間は死なない」のような偽の文
プラトニズムに助けを求めてると世界は有限の事実だけではなく無数の思考がひしめき合ってることになる
名前と述語
theが突くような対象
ラッセルの記述理論
「現代の日本の大統領は女性である」はある特定の人物について何かを語ったものではない
1. 現在の日本の大統領であるような何らかの物が少なくとも一つある
2. 現在の日本の大統領であるような何らかの物は多くとも一つである
3. 現在の日本の大統領であるようなすべてものは、女性である
誰か特定の(theのつく)対象について語っていない
現在の日本の大統領という指示対象がひつようない
アインシュタインは男性である=□は男性であるという関数にアインシュタインを当てはめたもの
文が生成される順序は論理的に重要な意味がある
量化
すべての、ある
すべての人は誰かと同郷であるは述語倫理によってはじめて分析できる
□は死ぬ
すべての人間は死ぬ
すべての物のうち、そのどれについても、それが人間ならば死ぬ
ある人間は死ぬ
あるものが存在し、それは人間であり、なおかつ死ぬ
前者はなんの存在も要請してないが、後者は要請している
固有名の意味は指示対象か
「夏名漱石は夏目金之助である」
指示説に従えば同じ物をさしているトートロジー
「浦島太郎」という固有名はさまざまな述語を満たす対象
「カメを助けた」「竜宮城へ行った」
それらを束ねてウラシマるとする
1. ウラシマる何らかの物が少なくとも一つある
2. ウラシマる何らかの物は多くても一つである
3. ウラシマるようなすべてものは、B型である
抽象概念「ウラシマる」が何故意味を持てるかという問題はそのままだが、個物の意味の問題は解決した
述語のあつまりではなく全体を表現してる
クワイン
「存在するとは変更の値になることだ」
存在とは見たり触ったりできることではない
すべての存在は、量化表現の検索にたまたま引っ掛かってくるのではなく、むしろ、その検索に引っ掛かってくるものだけが存在です。原理的に、この検索に引っ掛かってこない存在はありません。強調して言えば、存在があってその後に量化表現があるのではなく、量化表現があってその後に存在があるのです。
文脈原理と全体論
フレーゲの3つの原則
心理主義批判、文脈原理、概念と対象の区別
文脈原理
命題に含まれる語の意味はその命題の意味への貢献によって決まる
「すべての人間は死ぬ」に含まれる人間のいみは人間という単独の語では決まらず命題にどのように貢献してるかによって決まる
=> 意味の秘本単位は語ではなく命題
世界とは成立していることがらの総体である
成立していることがら=事実、成立していないことがら=偽である命題
世界とは事実の総体であり、ものの総体ではない
事実=真である命題、もの=命題に含まれる語
世界がどのようなことが起こりうるかはどのような命題が可能であるかと完全に同じ形式を持つ
ここでは、世界がどんなものに見えるかが経験的に述べられているのではなく、世界がどんなものでなければならないかが──世界成立の超越論的な条件が──述べられています。
意味の検証理論
命題の意味はイメージでも指示対象でもなくその検証条件
ある命題の真偽がどのような経験によって検証されるか知っていることがその命題の意味を知っていること
意味はどこへ行ったか